60年間愛され続けた京濱ビル

1954年横浜で最初の総8階建てのビル、戦後復興の象徴、新時代の象徴であった白亜のビルは60年間の歴史を支え続けました。

横浜・関内地区に戦後いち早く建てられたオフィスビルの先駆け「京濱ビル」。
京濱ビルの建設は、昭和28年3月、京濱不動産が施工主となり、設計管理監督者を三菱地所、工事請負業者を鹿島建設として起工しました。当初は3階建てのビルの計画でしたが、基礎工事に着手した段階で鹿島建設の提言によって8階建てに変更され、昭和20年代当時の横浜におけるモダニズム建築オフィスビルの先駆けとなり、横浜・関内地区にあって、ひときわ目立つ「新時代の象徴」となりました。

鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上8階、地下1階建てで、松の木の杭が基礎を支え、外観はシンプルで、壁面は広いガラス窓で覆われていた京濱ビル。その斬新さは、「第2回横浜市建築コンクール」でも評価されました。

昨年、60年間愛され続けた京濱ビルも長い歴史に幕を閉じました。
今年1月からは本格的に解体工事が始まり、跡地には生まれ変わる新たな京濱ビルの建設が予定されています。

 
当時の開館記念パンフレット

 
「第2回横浜市建築コンクール」